「時間が足りない」受験生だった僕が、「時間が早すぎる」大人になっていた


大人になると、時間が早く過ぎる。

これはきっと、多くの人が感じていることだと思う。

でも僕は、正反対の悩みを抱えていた時期があった。

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■ 時間が足りなかった受験生

受験生の頃の話。僕は試験が苦手だった。

正確に言うと、読むスピードが遅すぎた。

英語の長文も、国語の評論も、最後まで辿り着く前に終了のチャイムが鳴る。答えがわかりそうな問題を前にして、ページをめくる余裕すらない。時計の針の音だけが、やけに大きく聞こえていた。

「もっと速く読めたら」

そう思わない日はなかった。

焦れば焦るほど、文字が頭に入ってこない。同じ行を二度読んでいる自分に気づいて、また焦る。解ければ取れる点を、時間が足りないという理由だけで落とす悔しさ。

あの頃の僕にとって、時間は圧倒的に足りないものだった。

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■ 「速読すれば時間が伸びるのでは」という仮説

大学に入った頃、僕は素朴な仮説を立てた。

速読・速聴・速記ができれば、感覚時間が長くなるんじゃないか。

同じ1時間でも、処理できる情報量が増えれば、体感的にはもっと長く感じられるはずだ。受験の時に足りなかった時間を、自分の処理能力で伸ばせるんじゃないか。

そう思って、試してみた。

速読の本を読んで、目の動かし方を練習した。4倍速再生で動画やポッドキャストを聴き込んだ。タイピングのスピードを上げる訓練もした。

結果、何が起きたか。

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■ 脳がバグった

頭の中で、何かが追いつかなくなった。

しゃべる時のスピードと、読み聞きするスピードが違いすぎる。情報を入れるペースと、自分の思考のペースが一致しない。処理速度を上げるほど、脳のどこかに不協和音が鳴る感覚があった。

4倍速で音声を聴いた直後に普通の会話をすると、相手の言葉がやけに遅く感じる。でも、考えることは早くならない。

情報は拾えるのに、考えられない。

あの時の違和感を、今でも覚えている。

受験生だった頃の僕が欲しかったものは、これじゃなかった。

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■ 逆の悩みを抱える大人になっていた

気づいたら、30代になっていた。

仕事をして、家に帰って、ご飯を食べて、寝る。週末は近所の公園に行って、帰ってくる。それ自体は悪くない毎日なのに、一週間があっという間に過ぎていく。

昔あれだけ「時間が足りない」と焦っていたはずの僕が、今度は「時間が早すぎる」と感じている。

矛盾しているようだけど、同じ問題の別の顔なんだと思う。

・受験生の頃:処理が追いつかない → 時間に圧迫される ・今:予測できる毎日 → 時間が圧縮される

どちらも、時間をコントロールできていない。

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■ 効率化するほど、時間が短くなっていく

ここ数年、自分の生活を効率化することに、かなりの時間を使ってきた。

通勤時間を短くする。家事を自動化する。仕事の段取りを磨く。無駄な予定を入れない。隙間時間で情報をインプットする。

効率が上がれば、自由な時間が増える。そう思っていた。

でも、気づいたことがある。

効率化すればするほど、一日が短くなっていく。

効率的にこなした一日は、振り返ると何も覚えていない。流れるようにタスクを処理して、気づいたら夜になっている。予定通りに進んだ週末は、月曜日の朝に思い出せない。

「今日、何してたっけ?」

この感覚は、受験生の頃にはなかった。

あの頃は時間が足りないと焦りながらも、一日一日の解像度は高かった気がする。今日どの問題が解けなかったか、どの文法で詰まったか、克明に覚えていた。

時間に追われていたはずなのに、あの頃の方が時間を「持っていた」気がする。

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■ もしかして、無駄が必要なんじゃないか

最近、こう思うようになった。

効率化した分の時間を、また効率化で埋めている限り、時間は圧縮され続ける。

必要なのは、もしかしたら、意図的な無駄なんじゃないか。

計画していない寄り道。目的のない散歩。いつものルートを外れて、知らない道を歩いてみる。合理的な判断では選ばないカフェに入ってみる。

こういう「非効率」こそが、脳に「今日はいつもと違う」というシグナルを送って、記憶の解像度を上げてくれるんじゃないか。

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■ ジャネーの法則と予測符号化理論

この直感を裏付けるような考え方がある。

「ジャネーの法則」という、19世紀の哲学者が提唱した仮説だ。

主観的な時間の長さは、年齢に反比例する。

5歳の子供にとっての1年は、人生の5分の1。50歳の大人にとっての1年は、人生の50分の1。だから大人になるほど、相対的に時間が短く感じる。

ただの数式に見えるかもしれないけど、現代の脳科学はもう一歩踏み込んでいる。

脳は、予測できない体験をした時にだけ「時間を消費した」と感じる。

予測符号化理論、と呼ばれる考え方だ。脳は常に「次に何が起きるか」を予測しながら世界を処理している。予測通りのことが起きると、脳はそれを圧縮して記憶する。予測と違うことが起きた時だけ、詳細に記録される。

子供の時間が長く感じるのは、毎日が初めてのことだらけだから。大人の時間が短く感じるのは、ほとんどの出来事が予測可能になっているから。

つまり、効率化というのは、予測可能性を上げる行為だ。だから、効率化するほど時間は圧縮されていく。これは悪いことじゃなくて、脳の設計上そうなっている。

受験生の僕が試した速読も同じだった。処理速度を上げただけで、予測できない体験を増やしたわけじゃなかった。だから時間は伸びなかった。

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■ 時間を伸ばすアプリを作っている

いま、感覚時間を伸ばすアプリを作っている。

コンセプトは単純だ。

予測できない体験を、少しずつ日常に注入する。

たとえば、行ったことのない近所のカフェを提案する。やったことのない趣味を1時間だけ試すきっかけをくれる。他の誰かの「充実した体験」がボトルメッセージのように流れ着く。

大掛かりなことじゃない。旅行に行く必要も、仕事を辞める必要もない。日常の中に、予測できない小さな欠片を混ぜるだけだ。

それだけで、脳が圧縮してしまう前に、今日という日を詳細に記録してくれるかもしれない。

効率化の対極にある「意図的な無駄」を、アプリが処方する。

そんな道具が、あっていい気がしている。

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■ 書きながら作る

このnoteでは、アプリを作りながら、その過程を書いていく。

作り終わってから記事にするんじゃなくて、作りながら書く。なぜこの機能を入れたかったのか、どこで詰まったのか、何を諦めたのか。完成品じゃなくて、過程そのものを共有したい。

自分と同じように「時間が早すぎる」と感じている人が、これを読んでくれたら嬉しい。そして、いつかアプリが形になった時、一緒にそれを使ってくれたら、もっと嬉しい。

時間を、ゆっくりに。

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longdrift

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